自意識と世間の狭間

アラウンドというかオーバー30。これからの人生のための記録。

物欲と断捨離と

たまに無性に何か欲しくなる。買い物は楽しい。同時に物を捨てることに快感を覚えることもある。物を欲する気持ちと物を捨てたい気持ち、全く真逆なのに同居する。

一つ買ったら、一つ捨てるみたいな単純なことはできない。欲しい欲しいという気持ちと、スッキリさせたい欲望と。どちらも際限がない。

いつぞやか、1日1捨てに取り組んだことがある。あれは捨てる物が見つかった時は爽快だったな。

どうしようもないけど、やっていこう。

久しぶりの連絡

久しぶりに知人から連絡が来た。特に取り留めもない話だったが、何だか緊張する。

返事をして、返ってくるまでのソワソワ感。返ってきて欲しいような、欲しくないような。返事に頭を悩ませ、ここで切ってしまって良いか考え。難しい。

そして、また疎遠になってしまう。長くきちんと付き合える人を尊敬する。

何者かになるための努力

だんだん書くことのハードルが上がっている気がしますが、続けられるだけやっていきたい。

最後に能動的に頑張ったのって、大学受験のときかもしれない。つまり、最近努力ができていないなということ。

なりたいものになるには努力が必要なんだけど、全然難しい。努力は必ずしも報われないけど、可能性を広げるものではあると思う。

何でこんなにできないんだろうか。

やる気スイッチどこいった。見かけた方はご連絡ください。

できる人できない人

三日坊主をどうにか回避。続けることに意味があると信じてます。

10年余りサラリーマンをやっていてたまに思うのは、自分はできる人なのか、できない人なのかということ。

仕事をしていると、できないことにぶち当たることが多くて、しんどくなる。できる人は圧倒的に実行力がある。できない理由を最もらしく語ることはいくらでもできるが、やるというシンプルなことが難しい。

でもここだけの話、隣の人がしている仕事であれば私でもできるんじゃないかと思うこともある。自分ができないのか、今割り振られている仕事が合わないのか。どこかに自分に向いている仕事があるのではないかと、青い鳥を探したくなる。

それであれば、できることを増やすための努力をしたほうがいいと言うのはわかっているけど、青い鳥の存在を信じたくなる。

進化か退化か

新卒で入ったときに、アラサーの女性の先輩が怖かった。当たりが強いというか、来るもの全てを弾き飛ばす勢いを感じた。もちろん全員ではないが、明らかにそういう傾向があった。

ああはなりたくないねと、無邪気に同期と語り合っていた。そして、10年後。今、自分は圧倒的にそっち側に近い。薄々そんな気はしていたが、ポケモンデジモンのように進化という明らかなステップを踏まずに徐々に変わっていくので、見て見ぬふりをしてきた。しかし、今たぶん私は当時怖いと思っていた強さを獲得している。

歳を重ねていく上でちやほやされなくなった。若いというだけで許されていたことがたくさんあることに気がつく。一方で、歳をとるだけでは優秀になるわけではない。自分は変わっていないのに、勝手に世間からの見られ方が変化することに対応できず、あるいは憤り、こうなっているのだろうか。その反発とか反抗とかが強さという鎧に変わっていっているのかもしれない。

私だけではない。明らかに周りの同世代も圧倒的に強くなっている。生きていくために有利な進化なのだろうか。

進化なのだろうか?あのときそうなったら良くないよねと思ったところに到達しているのは退化ではあるまいか。

問題は、この変化もまぁいっかと鈍感になっていることである。こうしてわたしは今日も生きていくし、たぶんだから生きていける。

わたしは今どんな大人になりたくないだろうか。そして、10年後そうなっているのだろうか。

ズボラとケチの親和性

こんばんは。どうにかブログ2日目。

ズボラでケチというのは、最低の組み合わせだなと思います。そう、自分のことです。

ズボラなので手を抜くためにお金を使えばいいものの、ケチである故に諦めることが多く、最終的に損してない?ということが多いことに薄々気がついてきました。

例えば、脱毛。剃るのがめんどくさいから基本放置。ただたまに、本当にたまに勝負の時に後悔をします。せっせと戦に備え風呂場で剃るのですが、いかんせん根がズボラ。結局適当になり、結局中途半端なまだらになる。背中は届かないからまぁいっか。脱毛をしてしまえば、楽なのにと思いつつ、うん十万円が惜しい…。

ケチであれば、手間を惜しむべきではない。ズボラであればお金を惜しむべきではない。両方惜しむと、残念な生き物が誕生する。

わかっているのにやめられない。ズボラとケチどちらかだけでいいのにこの二つ多分相性が良すぎる…。

錆びついたゴールデンウィーク

はじめまして。

ゴールデンウィークやることが無さすぎて、ブログを始めてみました。

何故?と思いながら、急にやる気スイッチが入った次第です。一方で、三日坊主に定評があるのでどうせすぐ飽きるだろうなと冷静な自分もいます。

何となくこのままでいいんだっけと急に不安になる繊細なお年頃なので、何かのきっかけ?記録?になればいいなと思ってます。

最近薄々気がついていたけど、30も超えると全く連休が充実しない…。休みなのは嬉しい反面、消化試合のように時間を消費しているようで、ブルーになる。

昔だったら多少無理してでも予定をやりくりしていたけど、自分もだが周りも加齢とともに体力と気力のゲージが減っていき、誰かの予定における自分の優先順位がどんどん低くなっているのを感じる。結婚した友人は当たり前だが、家族優先。ちょっと仲がいいくらいでは声すらかけづらくなっている。「ちょっと飲みに行こうよ!」のハードルの高さよ。断られて傷つきたくないし、めんどくさいといつからか思い始めてしまった。フットワークの軽さには定評があったのに、いつからこんなに下半身に安定感が出てきてしまったのか…そういえば久しぶりに逆上がりしようと試みたが尻のあたりに鉛でも入っているのというくらい重かった。回れる気がしない。あんな軽やかに逆上がりできていたのは夢まぼろしだったのか。

30歳を超えてこういう変化を自分がしっかりと感じるようになり、それに戸惑うことが増えて、それってわたしだけと思って、本やらネットやら漁っていたら、同世代のあの人も、人生交わりそうにないあの人も同じような悩みにぶち当たっていることを知った。

つまり、このモヤモヤとかイライラは不可避ということが、ただ発覚した。それとどう生きていくのか、それを記録しようと思う。

とりあえず今日はここまて。